-その3腰痛の危険因子について-
プラセボという言葉をご存知でしょうか?プラセボはラテン語で患者を悦ばせる,見せかけのくすりもしくは処置であり、「偽薬」といわれてきました。近年ではプラセボは偽薬ではなく「医療行為に関わる働きかけ」ととらえ方をすると、脳の中における情報処理の段階で慢性疼痛と密接に絡んでくるとことがわかってきました。医療行為全般にも同様の反応がありプラセボの反応率は21?58%であり、あらゆる状況で一定の効果を持つ最強の治療法である?ともいわれます。
慢性疼痛では情動という部分がより疼痛をつらく感じさせており、組織の損傷がなくても、感覚は末梢の受容器からの刺激で痛みの経路になり、知覚は痛み刺激により情報の加工が行われ認知が加わるので情動体験に左右されます。 疼痛の情報処理として転換(神経終末における侵害受容器への刺激が電気刺激に変化)、伝達(電気信号が神経繊維中を伝播)、調節(末梢から脊髄・中枢に至る各段階でシグナルが調節)、認知(脳における情動体験として処理)の4つのステージを通じて情報が処理されます。私たちが治療介入できる可能性があるのは、中枢側の神経回路内におけるステージでないと難しいといわれています。「痛み」は痛み刺激に対する反応、「痛み行動」は痛みのある場合に出現する行動学的変容であり、治療の対象は痛みそのものでなく,痛み行動の改善であり、痛み刺激が入って,脳で感知され、ある情報処理が行われた段階でその結果反応として起こってくる行動変容を実害のない状態に持って行くことを目指します。
医療行為として行われる私達医師の言語介入は、患者さんとの会話の中で取り上げられる治療への期待や見返り・報酬などがプラセボ効果の中心で、患者さんの鎮痛への期待感は薬剤とは別に内因性オピオイドの活性化につながるので,とくに慢性疼痛では脳の果たす役割が非常に大きいのです。私達医師は治療に介入する前に、病状および予後見込みに基づく治療選択の根拠を患者さんに示してから,直接の治療介入(投薬、注射、手術など)を行い、その後健康状態の変化をみて介入後の評価を行い必要があれば同じことを繰り返します。脳は情報を複数平行して処理するのは苦手で,優先順位をつけて処理しようとします。治療のゴールを日常生活上支障が少なくなったことをもってよしとし、痛みが取れない時は患者さんの疼痛閾値の感受性が高まったまま維持されているので、できるだけ社会復帰して毎日を忙しくして脳が痛みのことばかり考えないようにすることが基本的アプローチです。痛みだけを取ってくれという患者さんには、(たとえば)火災報知器を止めておけば火事は起きないと思いますか?と理解を求め、私たちが目指すことは火災報知器のスイッチを切ることではなく身体に有害な火事を消すことですよ、といった説明を行います。
(日本臨床整形外科学会企画:国立障害者リハビリセンター 赤井正美先生の講演より参照)
-その3腰痛の危険因子について-
肥満の定義はBMI(体重kg÷身長m÷身長)が25以上で肥満に関連する健康障害(2型糖尿病、脂質代謝異常、高血圧、高尿酸血症、冠動脈疾患、脳梗塞、睡眠時無呼吸症候群、脂肪肝、整形外科的疾患、月経異常)があり、医学的に減量が必要な病態です。BMIを22前後で適正体重の維持が重要とされていますが、腰痛に関してはどうでしょうか?腰痛診療ガイドラインにはBMIと腰痛には有意な相関はない(推奨グレードC)、と掲載されています。食事との関連性では、血清脂質濃度が下肢症状を伴う腰痛の危険因子である、肥満は腰痛の危険因子(オッズ比1.9)という論文もありましたが、エビデンスが低く、腰痛の患者さんに痩せなさい、という根拠には乏しいということになります。
-その2腰痛の危険因子について-
腰痛の危険因子についての第二弾として運動不足について述べます。運動不足は現代社会の抱える深刻な問題であり、心筋梗塞や狭心症に代表される虚血性心疾患や脳梗塞、高脂血症、高血圧、糖尿病など生活習慣病の原因と言われています。運動不足は2007年の日本の総死亡のリスクは喫煙、高血圧に次いで3位であり、WHOも高血圧(13%)、喫煙(9%)、高血糖(6%)に続き、運動不足(身体活動不足)を4位と位置づけています。運動不足により年間5万以上が亡くなる、というデータもあり、運動は健康を取り戻す手段になります。運動の効果は血液循環がよくなることで心血管疾患の危険性を減少し、高血圧の予防になり、睡眠障害の改善や心理的緊張の緩和にも効果があります。生活習慣病に関しては有酸素運動、筋トレ、ストレッチが有効とされていますが詳細な内容は厚労省のHPの健康づくりのための身体活動基準2013に掲載されていますが、 18-64歳までは3メッツ以上の身体活動(歩行)を毎日60分と3メッツ(息が弾み汗をかく程度)以上の運動を毎週60分行うことを推奨しています。
運動不足に関しては、腰痛診療ガイドラインでは、腰痛発症の危険因子である(推奨グレードC)と記載されています。双子の高齢者の2年間のコホート研究では熱心な運動習慣のある高齢者は、腰痛の発症率が低く、運動量と腰痛発症の予防には有意な相関があり、腰痛予防には体幹の筋力よりも運動習慣のほうが重要である、と記されています。最近腰痛の予防に体幹のコア(深部筋)を鍛えることを推奨する論文もありますが、むしら運動するという習慣が腰痛にいい、といえます。ノルウェーの最近の研究でも高齢者では運動頻度が高いほど疼痛の発生頻度は低いという結果からも高齢だからこそ運動を多くすべきである、ということを裏付けています。
-その1腰痛の危険因子について-
喫煙は肺癌、慢性肺障害の危険因子であること(肺癌は実に4−8倍!)は周知の事実ですし、動脈硬化促進することによる脳卒中、心筋梗塞の発症の危険性も高くなり、閉塞性動脈硬化症による下肢の血流低下が進行すると足の壊死が生じて切断に至るなど深刻な合併症が報告されています。また歯槽膿漏などの歯周病、肥満の危険因子にもなり、最近では受動喫煙に対する影響も社会問題となっています。
腰痛に関する喫煙の影響については、日本の腰痛診療ガイドラインにおいては喫煙は腰痛の危険因子であることは推奨グレードC(中程度のエビデンス:科学的根拠が少なくても一つあり、行うことを考慮しても良い弱い根拠に基づいている)とされています。患者さんを経時的に観察したコホート研究(5781例を最長33年という長期観察の報告や双子の9600例を8年間追跡した論文が有名です)喫煙と腰痛には腰痛の危険因子であり、容量依存的に相関を認める(喫煙本数が増えるほど腰痛発生の危険性が増加する)エビデンスの高い報告があります。一方で生活習慣の異なる双子の比較では、喫煙と腰痛発症に有意な相関を認めなかったという報告もありますが、ほとんどは危険因子であることに肯定する論文であることから喫煙は腰痛にとって害である、といって過言ではないことを肝に銘じる必要があります。2016年の論文で坐骨神経痛(腰痛のみでなく下肢まで放散する痛み)と腰部神経根性痛(腰椎椎間板ヘルニア)の発症リスクも喫煙者は有意に高く(1.46倍)、過去に喫煙した人でも1.15倍であったという報告もありますので、腰痛、坐骨神経痛の方には禁煙を勧める根拠になると考えます。
参考文献 腰痛診療ガイドライン日本整形外科学会、日本腰痛学会 2012
最近武田鉄矢氏のテレビCMで耳にすることのある神経障害性疼痛、という言葉を聞いたことがある方も増えてきましたが、まだ一般の方には浸透していないようです。
痛みは国際疼痛学会によって組織の損傷による痛いという感覚と、それに伴う恐怖や不安などの情動を合わせたものと定義されています。痛いという感覚は警告として必要な痛みであり、ストレスからくる痛みは不必要な痛みです。痛み刺激は末梢から神経、脊髄から脳に伝わり、痛みとして認識されます。痛みは発生機序から侵害受容性疼痛と神経障害性疼痛に分類されます。侵害受容性疼痛とは、けがや変形などで末梢の侵害受容器が興奮して大脳(皮質感覚野)に痛みが伝わり、痛いと感じる痛みで、神経機能は正常です。神経障害性疼痛は末梢神経に傷がつくことで、神経が過剰に興奮したり、脊髄や脳も過剰に興奮することで触っただけで痛いと感じたり(アロデニアといいます)、自律神経反射が生じるため、刺激がない状態でも痛みを生じます。ビリビリ、ジンジン、チクチクといった痛みしびれが上肢や下肢に放散する場合には神経の異常な興奮(神経障害性疼痛)を疑いますが、侵害受容性疼痛と神経障害性疼痛は明確に分類することが困難な場合もあり、またもう一つ心因性疼痛という概念もあり、専門医による鑑別が必要です。座骨神経痛、腰椎椎間板ヘルニア、帯状疱疹後神経痛、糖尿病性末梢神経障害などによる痛み、しびれが該当します。通常の痛み止め(消炎鎮痛剤)が効かないことが多く、プレガバリンという薬が効果があると言われています。副作用として眠気やふらつきがあるので就寝前から内服を始める場合が多く、徐々に増量していきます。決して薬物のみでなく神経ブロック、理学療法、認知行動療法を併用して治療していきます。
以前特異的腰痛の中で内臓由来の腰痛で腹部大動脈瘤について説明しましたが、今回は俳優の突然死のニュースで再注目されるようになったので背部痛の原因となる胸部大動脈瘤、大動脈解離について解説します。腹部大動脈瘤は腰痛(腹痛を伴うこと伴わないことがあります)、胸部大動脈瘤は背部痛の原因となります。いずれも高血圧などの生活習慣病による動脈硬化が進行して生じることが多いですが感染症や遺伝性の疾患が原因となることもあります。大動脈瘤は大動脈の太さがなんらかの原因で膨らんだもの(通常の1.5倍)で、動脈の壁が保たれている真性大動脈瘤と動脈の壁(内膜)が裂けて二重になった解離性大動脈瘤があります。
胸部大動脈瘤の60%は無症状で胸部X線や超音波、(造影)CT検査でたまたま発見されることも少なくありません。大きくなると嗄声(反回神経麻痺)、飲み込みにくさ(食道を圧迫)、背部痛を訴えることもあります。動脈瘤が破裂すると突然劇烈な背部痛、胸部痛(裂けるような痛み)が生じ、喀血(肺に破れる)、吐血(食道に破れる)を生じることもあり、ショック状態になって救急搬送されたり、救急車の中や検査中に死亡することもあります。
大動脈解離の年間発症頻度は10万人あたり3人で、70代に多く、発症から死亡まで93%が24時間以内に死亡した、という報告もあります。動脈瘤の(一番太いところの)直径が5.5cm以上の場合には破裂する危険性もあり(予防的)手術の適応となります。また治療にはステントグラフト、人工血管といった選択肢がありますが、外科手術では人工心肺装置が必要であり、脊髄麻痺や脳梗塞の合併症が1−9%あります。
成長期の子供の腰痛で注意すべきは腰椎疲労骨折です。以前は腰椎分離症といわれていましたが、これは初診のX線写真で腰椎斜位像にて椎弓(腰骨の後ろの部分の神経を取り巻く薄い板状の骨)部に亀裂(骨折線)があることからついた病名ですが、亀裂のない腰痛患者さんでもMRI検査を撮像すると信号変化があり、骨折しないうちに発見できるようになったことから現在では腰椎疲労骨折という名称の方が適切と考えられえています。
発生率は5%といわれており、スポーツ時の繰り返す腰の伸展や回旋運動により生じ、椎弓の下側から上に向かって垂直に骨折が進むことが多く、X線写真よりもCTで確定診断を行います。体の柔軟性も影響します。(大腿後面のハムストリングスという二頭筋の硬い人が多いです)野球、テニス、など右ききの選手は左の骨折が多く、サッカーやバスケは左右差がないと言われています。治療は腰の伸展と回旋を制限した硬性コルセットを3−6ヶ月装着しますが、小学校高学年で早期に発見できると骨癒合率は90%とも言われていますが、中高校になると癒合率は徐々に低下し、進行期には60%、終末期ではほぼ0%です。そのためスポーツ選手の急性腰痛、あるいは1ヶ月以上持続する伸展時や回旋時左右差のある腰痛は疲労骨折を積極的に疑ってMRI検査を早期にお勧めしています。MRIで椎弓部に信号変化があった場合にはCT検査にて骨折の有無を確認してコルセットによる治療を開始しています。しかしながら骨癒合率が時期によって異なり、スポーツを中止してコルセットで治療を行っても100%骨癒合が得られるわけではないので、本人、家族に十分説明をして治療法を選択していただきますが、スポーツのシーズン期では本人、家族を説得するのに時間を要します。コルセットを装着している期間は運動は全く禁止するわけではなく、腰痛が消失してから早期に体幹のリハビリテーションや下肢(ハムストリングス)のストレッチを行い、CTで骨癒合を確認してからスポーツ完全復帰を行います。以前高齢者の腰痛を見たら脊椎骨折を疑え、ということをお話ししたと思いますが、若年者のスポーツによる腰痛をみたら疲労骨折を疑うことも非常に重要です。
私が脊椎外科を志し、腰痛治療を行う上で最も尊敬するのが福島県立医大学長の菊地臣一先生です。先生は日本の整形外科医、脊椎外科医なら知らない人はいない方ですが、決して奢らず、学問に対する真摯な考え方だけでなく、人としてどうあるべきかを先生の教授時代に教室員(整形外科医師)達に送り続けたメールやインタビュー、講演のお話から学ぶことができます。
情熱院長という動画で先生が実地医科を担う先生方へのメッセージと題して腰痛のお話をされた内容から抜粋します。
腰痛の治療はこの10年で劇的に変わった。
昔は腰の痛みは局所の問題と捉えていたが 今は腰痛は不健康いわゆる、生物社会心理学的症候群として捉えるようになった。腰痛治療に当たる医師は、その人間のバックグラウンド(仕事で悩んでいないか、地域で困ったトラブルに巻き込まれていないか、子供の教育問題でこまっていないか?)まで探る必要があり、腰痛治療は痛みをとることが目的でなく、元の痛みがなかった状態と同じように動けることが目的である。痛くても前と同じように動ければよく、 レッドフラッグ(重篤な病理疾患—骨折、感染、腫瘍など)が潜んでいなければよい。慢性腰痛は痛みだけでなく人間の健康のすべてを悪くし、動かないことは身体も心も悪くする。健全な精神は健全な肉体に宿るのであり、現代科学は健全な肉体は健全な精神に宿るとはき違えていた。
腰痛に対する運動は特に歩くことがよく 免疫機能を上げ、炎症を抑えることが判っている。 身体を動かすには運動器が大切であり、運動器のかかりつけ医をもつことが大事。体を体としてみるのではなく、体も心も社会もトータルとして見てくれる医師が必要である。患者さんも治してくれるという考え方でなく、自分で治すという心構えで、必要な支援を医療者側から受けることが肝要である。
実地臨床に当たる医師として心しておく必要があります。
興味がある方はご覧ください。 (https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=IkTsOLuvNlU)
以前このコラムで骨粗鬆症による脊椎骨折は高齢者の約40%に存在するといわれ、脊椎骨折の新規発生患者数は年間30万~100万人といわれており、脊椎骨折を生じた方が、再骨折する確率は2年以内で約40%と述べました。このデータは2003年見松らが70歳以上の急性腰痛の36 %であり、高齢者の腰痛に脊椎骨折が多いことに警鐘を鳴らした報告に基づくものです。そこで今回2014年当院に来院した高齢者の急性腰痛症における新規骨粗鬆症性脊椎骨折の割合を調べました。その結果、114例(男性18例、女性96例)、平均年齢77才の新鮮脊椎骨折の割合は60%でした。骨折椎体数は1椎体55例,,2椎体13例であり、1椎体ではなく2椎体離れた部位での骨折例もあり、また仙骨の骨折例もありました。骨折群と非骨折群の比較で腰椎骨密度は非骨折群より低いという結果でした。今回の検討の結果、2003年の時点で高齢者の腰痛における脊椎骨折の割合が40%であったのが、今回の検討では60%に上昇していたことは私にとっても驚きでしたが、逆にこの結果はこの10年間で骨粗鬆症患者さんの割合が増加している可能性を示唆していると思います。高齢者の腰痛は若い方の腰痛とは違う視点(脊椎骨折の頻度が多いことを念頭におくこと)で診断する必要があることを思い知らされました。(この内容は本年第28回日本臨床整形外科学会にて発表しました)
腰痛にやさしい椅子を選ぶ方法として、ゼザイン面では腰椎の前弯を維持することに注目したランバーサポートと骨盤の前傾を促し腰椎の前弯を促すペルビックサポートがあります。
一方で椅子の開発の歴史はJenny Pynt氏の著書である「A History of seating」に詳しく記述されていますが、エジプト時代は座面に傾斜を付けてある椅子が開発されていましたが、ギリシャでは腰椎後彎(slouch)を促すようなKlismos chairが開発され、、時代とともに政治的背景、医学的論争などの影響も加わり、椅子と腰痛の関連に注目されてこなかった歴史があります。近代では18世紀になってようやく用途に基づく椅子が開発されました。椅子(座り方)と腰痛との関係については1930年代にKeeganらが腰椎前彎の重要性を指摘していましたが一方で、腰椎屈曲運動の開発者のWilliamsが座り方で腰椎後彎(slouch)を推奨しています。医学論文も20世紀にはいってからは腰椎前彎、骨盤前傾を促す姿勢が負担が少ないこと、10分以上slouchの姿勢をとると腰痛の原因になりやすいというデータも出されていますが、現時点では理想の椅子については結論が出ていません。日本での椅子の歴史は野呂影勇早稲田大学名誉教授によれば、紀元前登呂遺跡から始まり、700年代に正倉院の玉座もありますが、独特なのは禅宗の僧が座布団をしいて座禅をし(仙骨サポートに近い)、座ることに無の境地を得るという精神的概念をもたらしたことが世界の中で特異的とのことです。
通常の椅子に座る場合に手軽にできるサポートは、バスタオルを丸めて坐骨部と腰部に敷くことで体験できますので、一度試してみてください。