9月1日、安部塾下関集中講座に参加しました。
最近は連続参加できて何よりです。 午後から参加。
①スクワット ②格闘フィットネス を行いました。
スクワット
骨を良い位置に納めるための、センサー刺激の方法 スクワットと蹲居の違いなどを学びました。 前ももの使い方、殿筋の使い方を学ぶことができました。
自分にとって、タイムリーなことでした。 読書している本と、結びついたからです。
現在「退歩のススメ」という本を読んでいます。 誤解をまねかないよう、一言加えると、人生の後退について勧めているわけではありません。 頭で考えてばかりいる現代の生活、当たり前について、体・身が置いてけぼりになっていることに対して警鐘を鳴らしている本です。
退歩とは置いてけぼりになっている体に目を向けることです。 その中で「足腰」の感覚について書いているところがあります。 女性が米俵を担いでいる写真をご覧ください。「写真は同文献から引用」
米俵1俵が60Kgなので、5俵で300Kgを担いでいます。 別段に筋トレなどをしていない、生活の中で養われた身体です。 現在の私たちからみると凄まじいと感じられます。しかし、当時の人々(大正から昭和初期の写真)であれば、それほどすごいことではなかったのではないか と思われます。
ここでみえてくることは、生活様式の変化(便利)によって、体に目をむける必然性がなくなり、体の使い方が下手になっているということです。 下手になっているからこそ、ひと昔前からみれば、考えられない小さな負荷で体を壊してしまうし、体が置いてけぼりを食らうことで、色々歪みが起きているということも 考えられます。 これは筋力重視の考え方や、見た目重視の身体感では、なかなか出てこない発想であると思います。 「生活様式が変化したことで、体を使いこなすことの必然性がなくなったことは、致命的です。便利の代償。
必然性がなくなることで、再び感覚を構築していくことは、かなりシビアです。 このシビアな中で体に目を向けていくためには、方法も感覚もわかりません。 方法を学び、練習を継続することは、再度体を動かす必然性と感覚を構築していきます。習慣の変化。 練習を継続していると、立つ・座る・歩くなどの動作に対して何度も変化が訪れます。何度も訪れるこの変化は体に目を向けていくためのプロセスで、 シビアな世の中を生きていくために必要なことだと考えます。
スクワットや蹲居の練習と、現在取り組ん組んでいる読書は、こんなところで結びつきました。自分にとっては嬉しい結びつきでした。
次は格闘フィットネス。 楽しかったです! ミット打ちとマススパーリングを行いました。
特に、先生とのマススパーリングは最高でした! 前蹴りで吹っ飛ばされたり、後ろ回し蹴りの直撃を食らったりとボコボコにされました! 「楽しさ」と「ボコボコにされた」、はなかなか結びつかないな、と思いましたが、なぜ楽しかったか考えました。 体力をしっかり使ったことと、コミュニケーションできたからだと思います。 親しい人や、尊敬する人との小突き合いは楽しい! なぜ、前蹴りや後ろ回り蹴りが防御できなかったのか解説もしてもらい、納得。 納得したけどこれはできるのか!?練習します!