野村忠宏氏のメンタルと怪我

第47回山口県スポーツ医科学研究会が宇部であり、参加しました。特別講演で大阪体育大学特任教授の岡澤祥訓教授の「トップアスリートのメンタルサポート」を拝聴しました。卓球やモーグル、パラリンピックのメンタルサポートに携われておられるそうです。さすらいのメンタルトレーナーという肩書きを持たれています。緊張しないように呼吸法や筋弛緩法を主として選手に指導しているそうです。マイナス思考は実力の発揮を邪魔するので、深呼吸、セルフトーク、成功イメージを描く、完璧を目指すな、やれることをやろう、今のあなたにできることをしなさいということということを選手に指導するそうです。サポートした選手がメダルを取ってくれてそのメダルをかけた写真を多数紹介してくれました。パラリンピックの選手のサポートで中々心を開いてくれない選手は障害を受け入れることで解決する場合があるそうです。平昌オリンピックでのメンタルサポートの難しさもお話ししてくれました。メンタルサポートは選手の自信を引き出すことだそうです。そのあとパネルディスカッションがあり、大阪体育大学の岡澤教授とオリンピック金メダリストで三連覇した野村忠宏氏がパネリストでした。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで金メダルを三度獲得した後前十字靭帯断裂など怪我を乗り越えて復帰しました。
ここから野村選手のお話しですが、柔道一家に生まれましたが、身体に恵まれなかったそうですが、周りから期待しないされなかったそうですが自分を信じて頑張って努力したそうです。アトランタ五輪ではラッキーで21才で代表に選ばれて膝を痛めたのですが逆に開き直って攻撃に専念することで優勝されました。自分の中でテーマを決めたことで勝てたとのことでした。オリンピックで金メダルを取った後も天理大学で指導者から世界選手権に勝たないと意味がないと言われてさらに努力したそうです。奈良教育大大学院の時に岡澤教授の教室に入って修士論文を取得したそうですが大学院も柔道も逃げずに頑張ったそうです。ミキハウスに入って世界選手権で負けたそうですがミキハウスの社長に励まされてシドニーオリンピックで金メダルを取ったそうです。その時引退を考えたそうですが一年アメリカに留学して、プレッシャーから逃れたそうですが、柔道が改めて好きで再チャレンジしたそうです。二年間のブランクで復帰後勝てない時に、精神的辛さがあったそうですが、自分がアテネまでチャレンジする気持ちを優先して、常に全力で攻める気持ちに切り替えてアテネで三連覇を達成しました。その後も北京オリンピックを目指すという目標を立ててチャレンジした大会で前十字靭帯断裂したそうですが手術はしないで最終選考会まで試合したそうですがその時に守りに入ったことで敗退して代表を逃したそうです。ところがそこで逃げたことを後悔して両膝手術して復帰しましたが、ステロイドを頻回に注射して出ていましたが体力的にも限界まで追い込んで最終的に引退した経緯を話してくれました。お話しを聞いて印象に残ったのは自分の選んだ道から逃げないということ、素の野村選手がビビりであること、オリンピックを常に意識して自分にプレッシャーを与えて目標達成の為に逆算して努力する気持ちが伝わりました。

この記事を書いた人

とよた整形外科クリニック 理事長

豊田 耕一郎

山口大学医学部、山口大学大学院卒業後山口大学医学部附属病院、国立浜田医療センター、小野田市立病院、山口大学医学部助教、講師を経て山口県立総合医療センターで脊椎手術、リハビリ部長を兼任後、2012年4月からとよた整形外科クリニックを開院。
専門性を生かした腰痛、肩こりの診断、ブロック治療、理学療法士による運動療法、手術適応の判断を迅速に行うことをモットーとし、骨粗鬆症、エコーによる診断、運動器全般の治療に取り組んでいます。